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ゆゆ式の魅力~日常系とはなにか~

 さて、前回の記事では
・文学の役目の一つとして、「世界や自分をどう認識するか」ということを考えだし、広めることがあること
・現在、その広める方の役目は漫画などのサブカルチャーが担っていること
 を話した。

 今日は三上小又『ゆゆ式』を例に上げ、実際に我々がどのように四コマ漫画に意識を規定されているかについてはなそうと思う。
 『ゆゆ式』の画期的なところは、日常を四コマの形に切り出すのではなく、四コマの形式を意識した上で日常を送っていることである。彼女たちには「オチ」の概念があるし、例えばあえて沈黙による間を作ったりといったコマ割りの概念らしきものがある。

ゆゆ式2

 つまり、彼女たちは自分たちの世界を「四コマ」というフィクションとして捉えている。もちろん、これだけでは、四コマというフィクション世界におけるメタギャグにしかならないだろう。しかし、『ゆゆ式』を読んだ上で私たちが現実に交わす会話を考えてみると、時に『ゆゆ式』のように「読者」へ向けた漫才のようになっていることはないだろうか?

 『ゆゆ式』へと繋がる作品として、あずまきよひこ『あずまんが大王』が挙げられるだろう。あずまんがの世界では、キャラクターたちが「やらなきゃいけない気がして」、つまり作品の都合上、自分のキャラを守るために行動に出ることがある。この時、キャラクターたちを動かしているのは作者=神の意志である。ということはつまり、現実には起こり得ない出来事、フィクションでの出来事だ。
 
あずまんが

 しかし『ゆゆ式』では、キャラクターたちが自発的に自分の「キャラ」を守るために動く。『ゆゆ式』における会話は、現実に置き換えてみてもなんら遜色ない。
 こうした『ゆゆ式』のキャラ意識が『あずまんが大王』を下敷きにしているとしたとき、同じ意識変化が私たちにも起こっている、と考えられる。
 『あずまんが大王』によって(他にもTV文化とかいろいろあるだろう。要検証)「キャラ」という概念の存在を意識した私たちは、実際に「キャラ的」な行動を取るようになっていく。その過程を描いたのが『ゆゆ式』なのである。

 画像がでかいので一旦切ります。


追記 キャラ、と一口に言っているが、キャラクター化の概念についてもう少し補足が必要だろう。前回の記事でも取り上げた保坂和志『草の上の朝食』では、「未来」とは「現在の習慣」によって決定される、としている。つまり、いつも同じような言動を繰り返すことで、そこに「キャラ」が生まれ、その人の先の行動まで規定してしまう、ということだ。
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