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キルミーベイベーの魅力~中級編・アンソロジー~

   「大体、変装ならもうしているだろう」「え、何の変装?」「女子高生」「あー」

 さて、初級編でも少し触れたが、アンソロジーの話である。はっきり言ってこれはヤバい。怖い。怖すぎる。キルミーベイベーの日常は、いろいろなものを捨象した上で成り立っている不安定なものである、ということは以前にも述べたが、これはその捨象したものを取り戻した時、キルミーベイベーがどうなるか、ということを雄弁に語っている。それぞれの作品に、その作者がキルミーから読み取った”実は”が表れている。

 とりあえず軽く内容を紹介しておこう。初めにあるのがカラーの寄稿イラスト。きれーい。次がカヅホ先生のカラーイラスト。きれーい。次がグッズ紹介やキャラクター診断などの企画ページ。正直コレは微妙。そして次に来るのがアンソロジーコミックである。これがヤバい。その後カヅホ×黒田bb×大沖座談会、初期設定集と続く。この二つもいろいろ語りどころがあるので後で取り上げたいと思うが、とりあえずはコミック部分の話をしたい。

 まず、まったくもー助「きがえて!ソーニャちゃん」から見てみよう。簡単に言うと
やすな「ソーニャちゃん!メイドのコスプレしてよ!」
ソーニャ「いやだ」
やすな「じゃあ殺し屋っぽい格好とか」
ソーニャ「そんなことしたらターゲットにバレるだろ」
やすな「そっか!じゃあ変装してよ!ハイ、鼻メガネ!」
 という原作っぽい(?)ギャグ調の作品である。しかし最後に出てくるのが最上部に書いた台詞だ。一見なんでもない言葉に見えるが、よく考えてみるとちょっと怖い。ソーニャが女子高生をやっているのは、”実は”怪しまれない為の変装にすぎないのだ、と言っているのだ。確かに、殺し屋であるソーニャがどうして女子高生をやっているのか、というのは原作でも一切語られていない。考えてみると謎である。
 しかしまあ、これはそれほど大した謎ではない。重要なのは、「こんな小さな謎さえ、原作では周到に除外されている」ということである。この辺は初期設定集の話で詳しく述べる。

 ぺちょ「日常風景」。基本的にギャグなのだが、台詞回しがどこか切ない。これも「きがえて!ソーニャちゃん」のように、原作でありそうでなかったギリギリの線を突いている。
「いいか?私は殺し屋だ。自分がいつ死ぬかもわからない。お前の愛情には応えられないんだ。」
「だいたいもし私がターゲットになっても平気で仕事受けるの!?」

 次に袴田めら「苺とチョコレート」。通学中、交通事故を目撃したやすなは、改めて「死」ということについて考える。考えてみれば横にいるソーニャは殺し屋で、もしかしたらあの事故もソーニャが関わっているかもしれない。けれど、どこか「死」に惹かれる気持ちもあるやすなは笑ってソーニャの隣を歩く。これはやすながソーニャにつきまとう理由についての”実は”だ。

 ハトポポコ「晴れた空にキルミー」。
やすな「私も殺ししてみたい!」
ソーニャ「おお、いいじゃないか」
(中略)
やすな「さっきの私を見てどう思った?」
ソーニャ「バカだと思った」
やすな「それが普段の君の姿なんだよッソーニャ君ッ」
 やすながソーニャを心配しつつも、内心ちょっとバカにしているという”実は”。ラジオで田村がおバカ認定されたことが思い出される

 小島アジコ「キルミーキルミーベイベー」。これは誰もが一度は考えたであろう、「”実は”殺し屋というのがソーニャの脳内設定だったら?」という話である。
「そーいやさー。私のクラスに自称殺し屋の女子がいた話、したっけ?」
「何それ、中二病ってやつ?」
 という会話で始まるこの作品は全アンソロ中でも最も残酷な話だろう。原作には刺客が登場するので今となってはこの”実は”は死に設定になってしまったが、個人的には刺客回を省いてこう想像する余地を残してもよかったと思っている。


 そして今井哲也「いつまでふたりで」。「ソーニャちゃん!今日は『殺し屋じゃない人』ごっこをしよう!」で始まるこれは、ふざけながらもなんとかソーニャに殺し屋をやめて欲しい、と思っているやすなと、そんなやすなの気持ちを知りつつ殺し屋の自分を受け入れてもらえないことにどこか寂しさを感じるソーニャ、という物悲しい作品である。「ギャグ漫画の主人公が小説のような近代的自我を持つとどうなるか」という一種の悲劇性は興味深い。
 
 こうして見てみると、キルミーベイベーの世界が多くの”実は”を丁寧に取り除いた上で成り立っているのがわかる。だからこそ多くの”実は”が入り込む余地が生まれるのである。”実は”とは、「現実」と言い換えてもよい。極論すれば、日常系漫画には「リアリズム」と「近代的自我」という近代文学以降の二つの主要素が存在しない、とさえ言えるかもしれない。※要検証

 全アンソロについて感想書こうと思ったけど、流石に長くなりそうなのでこの辺で。そしてやっぱり後半に続く。次回には「本当に作者が意識してそういうふうに作ってるの?」という、この記事の根拠みたいなものを書く予定。
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